東京地方裁判所 平成元年(行ウ)237号 判決 1992年12月24日
千葉県松戸市河原塚一六五番地九五
原告
根本嘉道
東京都荒川区西日暮里六丁目七番二号
被告
荒川税務署長 中野武彦
右指定代理人
門西栄一
同
仲田光雄
同
内倉裕二
同
石坂博文
主文
1 被相続人根本忠明に係る原告の相続税につき、被告が昭和六三年七月二九日付でした更正(裁決によって一部取消された後のもの)うち課税価格二、九〇六万二、〇〇〇円(納付税額三九六万八、五〇〇円)を超える部分及び被告が同日付でした過少申告加算税賦課決定(裁決によって一部取消された後のもの)うち納付税額三万九、五〇〇円を超える部分を、いずれも取り消す。
2 原告のその余の請求を棄却する。
3 訴訟費用はこれを二分し、その一を被告の負担とし、その余は原告の負担とする。
事実
第一当事者の求める裁判
一 請求の趣旨
1 被告相続人根本忠明に係る原告の相続税につき、被告が昭和六三年七月二九日付でした更正(裁決によって一部取消された後のもの)のうち課税価格二、七八一万九、〇〇〇円(納付税額三五九万五、六〇〇円)を超える部分及び被告が同日付でした過少申告加算税賦課決定(裁決によって一部取消された後のもの)ののうち納付税額二万一、〇〇〇円を超える部分を、いずれも取り消す。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
二 請求の趣旨に対する答弁
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
第二当事者の主張
一 請求の原因
1 被相続人根本忠明(昭和六〇年一二月一九日死亡、以下「亡忠明」という。)に係る相続税について、いずれも亡忠明の子である訴外根本尚道、原告及び訴外須坂祥子の三名(以下「原告ら三名」という。)がした確定申告及び修正申告、被告がした更正及び過少申告加算税賦課決定並びに原告がした不服申立て及びこれに対する応答の経緯は別紙一(経過表)記載のとおりである(以下、右更正のうち別表第一記載の裁決により一部取り消された後のものを「本件更正」と、右過少申告加算税賦課決定のうち右裁決により一部取り消された後のものを「本件賦課決定」という。)。
2 原告は、本件更正のうち課税価格二、七八一万九、〇〇〇円(納付税額三五九万五、六〇〇円)を超える部分並びに本件賦課決定のうち納付税額二万一、〇〇〇円を超える部分につき不服であるから、その取消しを求める。
二 請求の原因に対する認否
1 請求の原因1は認める。
2 同2は争う。
三 抗弁
1 相続人について
亡忠明の相続人は、いずれも亡忠明の子である原告ら三名である。
2 相続税額の計算について
(一) 相続税の課税価格算定の基礎となる金額
原告ら三名が共同相続した亡忠明の財産及び債務並びに原告ら三名が支出した亡忠明の葬式費用のうち、相続税の課税価格算定の基礎となる金額の内訳は、別紙二(相続税の課税価格の計算表)の「被告の計算」欄に記載のとおりである。
(二) 連帯保証債務について
(1) 道南開発株式会社(昭和六〇年一〇月二〇日以降の商号は「首都圏開発株式会社」、以下「道南開発」という。)は、昭和五六年七月二九日都民信用組合(本店)から四、五〇〇万円を、昭和五九年八月六日日興信用金庫(尾久支店)から一、〇〇〇万円をそれぞれ借り受けたほか、朝日信用金庫(西尾久支店)からも約二〇〇万円を借り受けた。これらの債務に係る連帯保証人は、都民信用組合及び日興信用金庫につき鈴木吉右衛門、川部福太郎、根本忠明及び漆原恒夫、朝日信用金庫につき鈴木吉右衛門及び川部福太郎である。
亡忠昭に係る相続開始の時点における右債務の金額は、都民信用組合につき合計二、八九五万五、三二六円(元本二、八〇七万四、六二九円及び利息八八万〇、六九七円)、日興信用金庫につき合計一、〇二七万〇、三五六円(元本一、〇〇〇万円及び利息二七万〇、三五六円)、朝日信用金庫につき合計一七一万〇、六四三円(元本一七〇万円及び利息一万〇、六四三円)である。
道南開発の都民信用組合、日興信用金庫及び朝日信用金庫からの借受金債務に係る各連帯保証人間の負担部分については、当事者間の取り決めが存しないから、それぞれ均等である。なお、漆原については、本件連帯保証債務を履行していないことが明らかであるが、これは話合いの結果による合意に基づくものであるから、漆原については本件連帯保証債務の負担部分が事実上存しなかったといわざるを得ない。
(2) 相続税の課税価格の計算に当たって、被相続人の保証債務は、相続人に相続された場合でも将来現実にその履行義務が発生するか否かが不確実であり、仮に将来その保証債務を履行した場合でも、その履行による損失は法律上は主たる債務者に対する求償権の行使によって補填されるものであるから、相続税法一四条一項に定める確実と認められる債務には該当しない。相続開始時の現況により(同法二二条)、主たる債務者が弁済不能である場合に保証人においてその債務を履行しなければならないことが確実な場合で、かつ、主たる債務者に求償しても返還を受ける見込がないことが明らかである場合に、相続税法一四条一項に定める確実と認められる債務に該当するものである。
本件事実関係に照らすと、亡忠明の相続開始時において亡忠明ら連帯保証人が都民信用組合及び日興信用金庫から本件連帯保証債務の履行を求められていた状況は全く認められないこと、道南開発が都民信用組合等に対する借受金債務の弁済が不能であったというべき状況にはなく、むしろ道南開発は販売用のリゾート地を保有しているなど資産を有していたこと、昭和六一年二月以降の右鈴木及び亡忠明の各相続人、右川部並びに右漆原らの話合いの結果、原告ら三名の相続人が道南開発の借受金を精算することに合意してその資金を出捐していること、その見返り(代物弁済)として道南開発の所有する土地を取得していること、亡忠明の相続開始の時点における道南開発は、商号を首都圏開発と変更して積極的な事実展開を図り、会社の立て直しを図っていた途上であり、その当時、破産、和議、会社更生又は事業閉鎖等の客観的な事実は認められないこと、その後道南開発は昭和六一年四月一日から昭和六二年三月三一日までの事業年度の決算において利益を計上しているほか、その後商号を更に東建ハウジング株式会社と変更して事業を継続していること、以上のような事実からすれば、亡忠明の相続開始当時において、道南開発に対する求償は可能であり、本件保証債務が相続税法一四条一項に定める確実と認められる債務に該当しないことは明らかである。
なお、仮に亡忠明の負っていた右連帯保証債務が相続開始時において履行せざるを得ない状況にあったとしても、各連帯保証人にその負担部分を弁済する能力がないとする特段の事情はなく、右鈴木及び亡忠明の各相続人並びに右川部が本件連帯保証債務をそれぞれ履行していることからすれば、各連帯保証人は弁済能力を有していたと認められる。
(三) 各金融機関への支払金の趣旨について
(1) 亡忠明相続人は、昭和六一年四月七日都民信用組合に九七六万〇、八一四円を、日興信用金庫に三七七万六、四〇四円を、それぞれ支払った。
(2) 原告は、右合計一、三五三万七、二一八円の支払金につき、これは亡忠明が道南開発から譲渡された別紙二(相続税の課税価格の計算表)の「摘要」欄記載の土地<10>ないし<14>(以下「本件土地」という。)の未払代金であると主張するが、本件土地は、昭和六〇年一〇月一九日現在において、亡忠明が道南開発に対し有していた貸付金合計五二五万九、〇〇〇円の代物弁済として同日付けで亡忠明が取得したものであって、原告の主張は失当である。
(3) 右支払いが土地の売買代金の支払いではなく、連帯保証債務の履行としてのものであることは、右各金融機関の発行した領収書に、いずれも道南開発貸出金の保証債務返済分として受領の趣旨が記載されていることからも明らかである。
(四) 道南開発に対する貸付金について
(1) 亡忠明は、道南開発に対し、別紙二(貸付金明細)記載(一)及び(二)のとおり合計一、〇二〇万円を貸し渡した。
(2) 右貸付金の残高は、昭和五九年七月に当時の貸付金残高のうち二五四万一、〇〇〇円の代物弁済として別紙三(相続税の課税価格の計算表)の「摘要」欄記載の土地<9>を亡忠明に譲渡し、昭和六〇年三月三一日道南開発からの従前の買掛金残高五〇万円が相殺され、道南開発に対する従前の仮渡金一〇万円が貸付金に振り替えられたため、同日当時においては四〇五万九、〇〇〇円となり、同年一〇月一九日当時においては右四〇五万九、〇〇〇円にその後に発生した貸付金一二〇万円を加えた五二五万九、〇〇〇円であった。そして、右の貸付金残高五二五万九、〇〇〇円については、同年一〇月、亡忠明、川部及び漆原の三者の話合いにより、代物弁済として本件土地を亡忠明に配分譲渡することとし、同年一一月一一日移転登記がなされて消滅した。右移転登記は、昭和六〇年一一月一一日付売買を原因として行われているが、真実は右のとおりであって売買によるものではない。
(3) 別紙二(貸付金明細)記載(二)(6)の昭和六〇年一一月二〇日付貸付金二〇〇万円については、亡忠明が代物弁済として本件土地を道南開発から取得した際、その返済を求めない旨の合意が存したというものであるから、債務としては存在していないというべきである。
3 税額について
(一) 相続税について
原告が納付すべき相続税の額(以下「原告の相続税額」という。)は、別紙三(相続税額の計算表)中の「被告の計算」欄記載のとおり、四五二万九、二〇〇円となる。本件更正に係る原告の相続税額は右金額の範囲内であるから、本件更正は適法である。
(二) 加算税について
本件更正により原告が更に納付すべき税額は一一七万円(国税通則法一一八条三項により一万円未満の端数切捨て)であるから、過少申告加算税は、別紙三(相続税額の計算表)中の「被告の計算」欄記載のとおり、同法(昭和五九年法律第五号による改正後の国税通則法)六五条一項により右税額に一〇〇分の五を乗じて算出した五万八、五〇〇円(同法一一九条四項により一〇〇円未満の端数切捨て)となる。本件賦課決定に係る原告の過少申告加算税は、右金額の範囲内であるから、本件賦課決定は適法である。
四 抗弁に対する認否
1 相続人について
抗弁1の事実は認める。
2 相続税額の計算について
(一) 相続税の課税価格算定の基礎となる金額
抗弁2(一)の事実のうち、亡忠明が道南開発に対し被告主張のほか更に四二〇万円の貸付金債権を有していなかったとの点並びに亡忠明が現にある債務として同社の金融機関に対する債務についての連帯保証債務又は同社に対する未払い売買代金債務として一、三五三万七、二一八円の債務を負担していなかったとの点を除き、認める。
原告ら三名が共同相続した遺産の中には、別紙二(相続税の課税価格の計算表)の「原告の計算」欄に記載したとおり、ほかに積極財産として道南開発に対する貸付金四二〇万円が存し、消極財産として亡忠明の道南開発に対する後記売買の未払代金債務一、三五三万七、二一八円が存するから、これらも繰り入れて計算すべきである。
(二) 連帯保証債務について
(1) 同2(二)(1)のうち、漆原については本件連帯保証債務の負担部分が事実上存しなかった旨の主張は争い、その余の事実中負担部分の点を除いてその余は認める。
(2) 同2(二)(2)は争う。
道南開発は、昭和六〇年二月、同社代表取締役であった鈴木右衛門の死亡により、その事業である北海道の土地分譲計画を中止し、販売予定であった土地を売却してその売却代金をもって金融機関からの借入金を返済し、もって事業を整理することとした。亡忠明は、鈴木吉右衛門死亡後同社の代表取締役に就任しており、同社債務の連帯保証人ともなっていたことから、右方針に基づき、昭和六〇年一〇月九日付けをもって、本件土地六四〇坪の配分譲渡を受けたが、精算すべき同社の債務が確定しないまま、話し合い中に亡忠明が死亡するに至ったものである。
(三) 各金融機関への支払金の趣旨について
(1) 同2(三)(1)の事実は認める。
(2) 同2(三)(2)は争う。
亡忠明は、前記道南開発の方針に基づき、昭和六〇年一〇月九日付けをもって、本件土地六四〇坪につき坪単価二万円の計算により、概ね一、二八〇万円程度の価額で配分譲渡を受け、右同額程度の売買代金債務を負ったが、精算すべき同社の債務が確定していなかったので、なお正確な代金額は確定していなかった。ところが、右鈴木吉右衛門の相続人から、同人の五〇〇万円の定期預金債権が同社により費消された件等について異議が出され、その話し合い中に亡忠明が死亡するに至った。
その後道南開発は、その役員であり、連帯保証人ともなっている副社長川部福太郎、取締役漆原恒夫、鈴木吉右衛門(その相続人)及び亡忠明(その相続人)が同社の整理方針につき協議した結果、昭和六一年三月一日頃同社の日興信用金庫からの借入金約一、〇四〇万円、都民信用組合からの借入金約二、九五〇万円合計三、九九〇万円を漆原恒夫を除く三者が平等に負担し、同月三一日までにそれぞれ返済することとした。右負担額は、他に朝日信用金庫からの借入金一一〇万円の負担や、金利もあり、各人一、三五三万七、二一八円と確定し、これが既に配分譲渡された土地(亡忠明については、本件土地)の未払代金の額として確定した。
本来ならば、亡忠明相続人(代表して行動したのは根本尚道)は、右負担分の金額を本件土地の売買代金として道南開発に支払い、しかる後に道南開発が右金員を借入金の返済として都民信用組合ほかに支払うという二段階の手順を踏むべきであったが、当時の取締役であった漆原恒夫に金員を渡すと横取りされ、あるいは川部福太郎がその負担分の支払いを怠たりかねない事情があり、道南開発に支払っても金融機関に返済されないおそれがあったので、金融機関に直接支払いをしたものである。また、これを受けた金融機関としても、売買契約の当事者ではない以上、領収書に保証債務返済分としか記載できなかったのである。
以上のとおり、右支払金は、真実は本件土地の売買代金として支払われたものであり、亡忠明が、連帯保証人の立場からではなく、道南開発の役員としての立場から、自ら同社の社有地を購入することにより、金融機関への同社の返済を準備し、これによって同社がその債務を弁済したものであり、その結果亡忠明は連帯保証債務の免除を受けることとなったものというべきである。したがって、右支払金の分は、亡忠明の相続税の計算上相続債務として控除されるべきである。
(3) 同2(三)(3)の事実中、都民信用組合及び日興信用金庫が発行した領収書に被告主張のような記載のあることは認め、右支払が亡忠明の連帯保証債務の履行としてのものであることは否認する。右記載は前記のような事情でされたものである。
(四) 道南開発に対する貸付金について
(1) 同2(四)(1)の事実は認める。
(2) 同2(四)(2)の事実中、右貸付金の残高が昭和六〇年一〇月三一日当時少なくとも四二〇万円であった事実は認めるが、その余は否認する。
(3) 同2(四)(3)の事実は否認する。
3 税額について
(一) 相続税について
同3(一)は争う。原告の相続税額は、別紙三(相続税額の計算表)中の「原告の計算」欄記載のとおり、三五九万五、六〇〇円(課税価格二、七八一万九、〇〇〇円)となる。
(二) 加算税について
同3(二)は争う。原告が更に納付すべき税額は四二万円(国税通則法一一八条三項により一万円未満の端数切捨て)であるから、過少申告加算税は、別紙三(相続税額の計算表)の中の「原告の計算」欄記載のとおり、同法(昭和五九年法律第五号による改正後の国税通則法)六五条一項により右税額に一〇〇分の五を乗じて算出した二万一、〇〇〇円(同法一一九条四項により一〇〇円未満の端数切捨て)となる。
第三証拠
本件訴訟記録中の書証目録及び証人等目録に記載のとおりであるからこれを引用する。
理由
一 請求原因について
請求原因1の事実は当事者間に争いがない。
二 抗弁について
1 相続人について
抗弁1の事実は当事者に争いがない。
2 相続税額の計算について
(一) 相続税の課税価格算定の基礎となる金額
抗弁2(一)の事実は、亡忠明が道南開発に対し被告主張のほか更に四二〇万円の貸付金債権を有していなかったかどうかとの点並びに亡忠明が現にある債務として同社の金融機関に対する債務についての連帯保証債務又は同社に対する未払い売買代金債務として一、三五三万七、二一八円の債務を負担していなかったかどうかの点を除き、その余は当事者間に争いがない。
(二) 連帯保証債務について
(1) 道南開発が、昭和五六年七月二九日都民信用組合から四、五〇〇万円、昭和五九年八月六日日興信用金庫から一、〇〇〇万円をそれぞれ借り受けたほか、朝日信用金庫からも約二〇〇万円を借り受けたこと、これらの債務に係る連帯保証人は、都民信用組合及び日興信用金庫につき鈴木吉右衛門、川部福太郎、根本忠明及び漆原恒夫であり、朝日信用金庫につき鈴木吉右衛門及び川部福太郎であること、亡忠明に係る相続開始の時点における右債務の金額は、都民信用組合につき合計二、八九五万五、三二六円(元本二、八〇七万四、六二九円及び利息八八万〇、六九七円)、日興信用金庫につき合計一、〇二七万〇、三五六円(元本一、〇〇〇万円及び利息二七万〇、三五六円)、朝日信用金庫につき合計一七一万〇、六四三円(元本一七〇万円及び利息一万〇、六四三円)であることは、当事者間に争いがなく、これらの借受債務に係る各連帯保証人間の負担部分について当事者間の取り決めがないことについては、原告はこれを明らかに争わないから自白したものとみなされる。
被告は、漆原については、右の連帯保証債務の負担分が事実上存しなかったといわざるを得ない旨主張するが、これが契約上同人の負担部分がないという主張であるとすれば、その負担部分を免除する旨の合意が亡忠明死亡時において関係者間に成立していたと認めるに足りる証拠はない。同人は、その連帯保証債務を履行していないが、そうであるからといって、右時点において同人の負担部分を免除する旨の合意が成立していたと推認することはできない。
そうすると、右の各連帯保証人間の負担部分は均等ということになるから、亡忠明に係る相続開始の時点における同人のほかの各連帯保証人の負担部分は、それぞれ都民信用組合につき七二三万八、八三一円(端数切り捨て)、日興信用金庫につき二五六万七、五八九円となる。
(2) 相続税法上、相続、遺贈又は贈与により取得した財産の価額からその金額を控除すべき債務は、確実と認められるものに限られるが(一四条一項)、被相続人の連帯保証債務については、主債務者が弁済不能の状態にあって、物上保証人も不在であるため、連帯保証人においてその債務を履行しなければならないことが確実であり、かつ、主債務者に対し求償権を行使しても返還を受ける見込みがない場合には、その負担部分の限度の金額については、相続開始時において確実と認められる債務に該当するものであり、その負担部分を超える部分は本来他の連帯保証人に求償することができるものであるから、他の連帯保証人のうちに求償のできない経済状態の者がいる場合に限り、確実と認められる債務に該当するとされることがありうるものと解すべきである。
本件においては、弁論の全趣旨により、物上保証人は存しないと認められるから、亡忠明の右(1)の連帯保証債務の負担部分の額ないしこれを超える額が右の確実と認められる債務に該当するか否かは、亡忠明の相続開始時において、主債務者である道南開発ないし他の連帯保証人が弁済不能の状態にあり、これに対し求償権を行使しても返還を受ける見込のない状態にあったかどうかによって決すべきである。
以下、右の見地から検討する。
(3) 前記当事者間に争いのない事実に、成立に争いのない甲第六号証、甲第八号証の各一、二、甲第一一号証、甲第一二号証、第一三号証の各一、二、甲第一五号証、甲第二八号証の一ないし三、甲第三三号証の一、二、甲第三五号証、甲第三八号証、甲第四二号証、乙第六号証及び乙第一一号証ないし第一三号証、原本の存在及び成立につき争いのない甲第二三号証の二及び甲第二四号証、証人漆原恒夫の証言により真正に成立したと認める甲第二号証の一、二、甲第一四号証、乙第三号証及び乙第五号証の一、二、同証人の証言により原本の存在と成立が認められる乙第二号証の一、二、末尾の都民信用組合支店長神戸秀夫名義の記名部分及びその下の印影が同支店長の記名判及び印章によるものであることは当事者に争いがないので全部真正に成立したものと推認すべき甲第三一号証、弁論の全趣旨により真正に成立したと認める甲第二一号証の一、二(原本の存在も)、乙第四号証、乙第八号証の一、二、乙第九、第一〇号証並びに証人漆原恒夫の証言によれば、次の事実を認めることができる。
(イ) 道南開発の設立、役員の変更及び資産
道南開発は、ニセコ町字近藤地区内の分譲地を購入していた亡忠明のほか、同様の立場にあった鈴木吉衛門、川部福太郎、下宮高俊、平松一郎、石井清三郎及び松山邦春が発起人となって昭和五三年五月二〇日に設立された株式会社であって、不動産の売買・仲介・管理及び鑑定に関する業務、土地建物工事等の設計・測量・施行に関する業務、旅行取扱業及び旅行斡旋業、ホテル観光事業並びにこれらに付帯する一切の業務を目的とするものである。代表取締役には鈴木吉右衛門が就任し、亡忠明は監査役に、その余りの者と漆原恒夫はいずれも取締役に就任したが、会社の運営事務は漆原が担当した。
(ロ) 事業の概要
道南開発は、ニセコ町字曽我地区に新たに土地を取得してリゾート用地として造成販売することを計画し、その事業資金として、都民信用組合等から資金を借り入れた。しかし、当初に取得した分譲用地について農地転用の許可手続に時間がかかり、また、右土地への進入路用地の取得についてその所有者である訴外今井幸太郎との間に紛争が発生し、昭和五八年一二月に至るまでその解決ができなかったため、事業計画の実現が大幅に遅れ、その後の分譲販売も円滑に進まず、収益をあげることができなかった。このため、昭和五八年四月から昭和六一年三月までの各事業年度においても、いずれも土地譲渡利益金が全く発生せず、多額の欠損を生ずるという状況で、都民信用組合、日興信用金庫及び朝日信用金庫からの後記借入金を費消し、亡忠明ほかの役員からの借入金により、会社運営費用及び金融機関等に対する利息支払等の運転資金を補うという状態であった。
(ハ) 信用の状況
道南開発は、昭和五四年一一月一二日都民信用組合と信用組合取引契約を締結し、鈴木吉右衛門、下宮高俊、川部福太郎、石井清三郎、亡忠明、平松一郎及び漆原恒夫の七名が保証限度額五、〇〇〇万円で道南開発が都民信用組合に対して負う債務を連帯保証したが、右連帯保証契約は、昭和五八年五月一〇日ころ下宮高俊につき、昭和五九年二月一七日ころ平松一郎につき、昭和六〇年五月一日ころ石井清三郎につき、それぞれ解除され、亡忠明ほかの四名が連帯保証人として残った。右の都民信用組合からは、当初は弁済期限昭和六〇年四月二七日、約定利率年一一・五パーセント、毎月二七日限り元金一〇〇万円及び利息を支払うとの約定で四、五〇〇万円の証書貸付を受けたものであるが、昭和五六年九月二四日付で昭和五七年七月から昭和六一年三月までの四五回弁済に支払方法を変更し、約定利率は昭和五九年二月一八日以降年一〇・五パーセント、昭和六〇年五月五日以降年五・〇パーセントに変更された。しかし、右借受金の元本の弁済として支払われた金額は、昭和五七年一〇月六日五〇万円、同月七日一〇〇万円、昭和五八年六月一四日七〇〇万円、昭和五九年二月一七日七〇〇万円、昭和五九年六月一六日三〇〇万円、昭和六〇年五月二二日三二〇万円、同年六月二八日一九万八、六〇二円、昭和六一年四月八日二、三一〇万一、三九八円というものであって、このうち昭和五八年六月一四日の七〇〇万円は連帯保証人であった下宮高俊の相続人が支払ったものであり、昭和五九年二月一七日の七〇〇万円も連帯保証人であった平松一郎が支払ったものであって、約定どおりの分割弁済は全くなされていなかった。しかも、この間の昭和六〇年三月八日には、道南開発の所有土地について都民信用組合の申立に基づき札幌地方裁判所小樽支部の仮差押命令がされている。これは、代表取締役であった鈴木吉右衛門が昭和六〇年二月に死亡し、同年六月に亡忠明が就任するまで後継の代表取締役が不在となり、また、利息の支払いすら怠ったことから、債権確保について不安を招いたためであった。
日興信用金庫の借受金一、〇〇〇万円については、弁済期限昭和六一年一〇月三一日、約定利率年九・八パーセント、昭和六〇年三月から毎月末日限り元金五〇万円及び利息を支払うとの約定で証書貸付を受け、連帯保証人は当初から鈴木吉右衛門、川部福太郎、亡忠明及び漆原恒夫の四名であるが、支払方法について昭和六〇年四月二七日付で同年九月から昭和六二年四月三〇日まで二〇回の分割弁済に変更し、約定利率は昭和六〇年一二月一日以降年五・〇パーセントに変更されたものである。しかし、右借受金の元本の弁済として支払われた金額は、昭和六一年四月八日の一、〇〇〇万円のみであって、約定どおりの分割弁済は全くなされていない。
そのほか、道南開発は、昭和五八年九月三〇日朝日信用金庫から、鈴木吉右衛門及び川部福太郎の連帯保証の下で、弁済期限昭和六三年九月二一日、約定利率年九・八パーセント、毎月二六日限り元金五万円及び利息を支払うとの約定で三〇〇万円の証書貸付を受け、約定利率について昭和六一年三月七日付で同年二月二七日以降年九・六パーセントに変更された。しかし、右借受金の元本の弁済として支払われた金額は、昭和六〇年一月二六日前において合計八〇万円、同日五万円、同年二月二八日五万円、同年三月二六日五万円、同月三〇日二五万円、同年九月二六日五万円、同年一〇月二六日五万円、同年一一月二六日五万円、同年一二月二六日五万円、昭和六一年一月二七日五万円、同年二月二六日五万円、同年三月三一日五万円、同年四月七日一五〇万円というものであって、約定どおりの分割弁済は全くなされていない。
このような状況の下で道南開発が倒産するに至らなかったのは、専ら代表取締役であり連帯保証人でもある鈴木吉右衛門の、その死後は同様の立場にある亡忠明の、いずれも個人的な信用によるものであった。
(ニ) 道南開発の経営方針
道南開発代表取締役の鈴木吉右衛門は、昭和五八年五月当時、ニセコ町字曽我地区におけるリゾート用地の造成販売事業が進まない状況下で、役員の中から「残っている土地を分配して大口の借金を返済し、整理解散して方がよい。」という提案が出てきたため、川部、漆原及び亡忠明らの時期尚早とする意見を退け、諸般の情勢から会社を維持していくことは困難であるとして、早期解散の含みで財産の分配、債務の整理を進める方針で臨むこととし、漆原に対し、整理の具体案の作成を命じた。道南開発は、昭和五八年一二月今井との紛争が解決したものの十分な収益をあげることができず、このような経営状態の中で、平松一郎は、昭和五九年二月一七日都民信用組合に対する連帯保証契約を解除するために七〇〇万円を支払い、かつ担保として三〇〇万円の定期預金をして、道南開発の役員を辞めている。また、下宮高俊は昭和五八年ころに死亡したので、同様に連帯保証契約を解除するためにその相続人が七〇〇万円を支払い、昭和六〇年二月には鈴木吉右衛門も死亡しており、石井清三郎も同年五月までに役員を辞めている。
亡忠明は、昭和六〇年六月ころ亡鈴木吉右衛門に代わって道南開発の代表取締役に就任したが、道南開発が仮差押を受けたことから事業継続を断念して債権債務関係を整理することとし、その段階における金融機関に対する債務総額から、連帯保証人(役員等)が免責を得るために必要な新規の資金をおおよそ各一、〇〇〇万と見込み、この新規の資金と従前の各役員の会社に対する貸付金の見返りとして、道南開発が所有している土地を担保として各連帯保証人(役員等)に所有権移転することとし、亡忠明には、本件土地の所有権が移転された。
その後、各連帯保証人が清算のため新規に支払うべき負担金の具体的な金額について交渉中、亡忠明が死亡したものである。亡忠明の死亡当時における道南開発の借入金債務の金額及び各連帯保証人の負担部分は、前記争いのない事実のとおりである。
道南開発は、亡忠明が死亡したため、新たな資金と信用の提供者が現れない限り経営が成り立たない状態に陥ったが、亡鈴木吉右衛門及び亡忠明の各相続人は、連帯保証人の地位を離れることを強く希望し、右各相続人と、漆原恒夫及び川部福太郎が折衝の結果、昭和六一年三月一日頃同社の都民信用組合、日興信用金庫及び朝日信用金庫からの借入金等を漆原恒夫を除く三者が平等に負担して返済することとした。最終的に、道南開発の都民信用組合、日興信用金庫及び朝日信用金庫に対する借入金債務は、都民信用組合及び日興信用金庫につき昭和六一年四月八日、朝日信用金庫につき同月七日それぞれ完済された。その弁済には普通預金及び別段預金の残額も組み入れられており、亡忠明の相続人が新たに出捐した金額は合計一、三五三万七、二一八円であって、亡忠明の相続人である根本尚道については、別紙五(物件目録)記載の土地二筆につき札幌法務局倶知安出張所昭和六一年四月一二日受付第二〇七六号及び同年五月一二日受付第二二八七号をもって、いずれも同年四月八日付売買を原因とする所有権移転登記(権利者根本尚道、登記義務者首都圏開発株式会社)が行われている。
その後の道南開発は、会社としては解散することなく、一旦は昭和六二年五月一一日代表取締役に漆原恒夫、取締役に漆原都及び小山錦司、監査役に川部好が就任し、同年五月二九日には商号を東建ハウジング株式会社に変更したが、これらの役員は同年七月二六日までに全て辞任し、同月二八日代表取締役に福地英雄、取締役に小林靖雄及び星謙二、監査役に福地静子が就任している。
(4) 右(3)の事実によれば、亡忠明につき相続が開始した昭和六〇年一二月一九日当時において、その主債務者である道南開発は、その借入金の最終弁済期限が翌昭和六一年三月二七日に迫った都民信用組合から仮差押を受け、日興信用金庫の借受金一、〇〇〇万円についても最終の弁済期限である昭和六二年四月三〇日まで一年半を残すに過ぎないのに全く元本の弁済ができず、また、朝日信用金庫の借入金についても、わずが月額五万円の分割弁済金の支払がしばしば滞らせるという状況にあったが、専ら亡忠明ほかの役員からの借入れによって運営資金を賄いつつ、その間に、役員間で清算のため新規に支払うべき負担金の具体的な金額について交渉中であったというのであるから、当時、道南開発は、債務超過の状況が相当期間継続していたのに、亡忠明自身の信用に頼るほかに融資を受ける見込がなく、経済的な再起の目途が立たない状況にあって、連帯保証人は早晩その保証債務を履行せざるを得ず、これを履行しても、その分を主債務者である道南開発に求償することは不可能な状況にあったというほかない。そうすると、亡忠明の連帯保証債務のうち少なくともその負担部分の限度では、これが右の確実と認められる債務に該当するものと認められる。
右の負担部分を超える分については、他の共同連帯保証人である鈴木吉右衛門(相続人)、川部福太郎及び漆原恒夫が、当時債務超過の状態にあって、これから債権の回収ができない状況にあったことを認めるべき証拠はない(漆原恒夫については、その後の話合いにより事実上債務の支払を免れているが、事後的にそうなったからといって、亡忠明の死亡当時漆原恒夫が右の状況にあったと推認することはできない。)から、他の連帯保証人に求償することが可能であったというべきである。そうすると、亡忠明の都民信用組合及び日興信用金庫に対する各連帯保証債務について、相続税法一三条一項に基づく債務控除の対象とすることができるのは、亡忠明の負担部分の範囲に限られることになる。
(5) 被告は、亡忠明の相続開始当時において、道南開発に対する求償は可能であったと主張する。
しかし、道南開発が保有していた販売用のリゾート地は専ら北海道ニセコ町の土地であり、これらの土地の分譲販売が円滑に進まないため、昭和五八年四月から昭和六一年三月までの各事業年度における土地譲渡利益はいずれもゼロ又はマイナス、所得もマイナスで多額の欠損を生じており、会社の経営状態は、専ら金融機関及び役員からの借入金によって借入金利息の支払い等の運転資金を賄うという酷い状態にあり、これらの借入金を返済して精算するために、役員らが新規に支払うべき負担金の具体的な金額について交渉中に亡忠明が死亡したものであったことは、前記認定のとおりである。また、前掲乙第一七号証によれば、道南開発が昭和六〇年一〇月二〇日商号を「首都圏開発株式会社」と変更したのは、亡忠明の信用を活かして日興信用金庫から新規の資金を導入し、首都圏の都内荒川区近郊においても不動産販売を進める方針によるものであったが、亡忠明が死亡したため、実際に首都圏の不動産を取り扱う前に企てが崩れたことが認められるのであって、道南開発が被告の主張するような経営状態になかったことは明らかである。そして、道南開発の昭和六一年四月から昭和六二年三月までの事業年度に係る法人税の申告書には、土地譲渡利益金として二億一、三六二万円が計上され、一億二、七五三万四、八二三円の所得が生じたという内容になっており、同年三月三一日現在の貸借対照表には、当期利益として七、四二一万一、二一九円が計上されているが、その所得の発生時期が亡忠明の生前又は都民信用組合ほかに対する借入金の完済された昭和六一年四月八日以前であったことを示す証拠はなく、このような多額の利益が生じた時期は、道南開発の経営が漆原及び川部から新たな経営者に引き継がれ、経営陣が全く交代した後のものであって、亡忠明の相続人らがその連帯保証債務を履行して都民信用組合ほかに対する借入金が完済された後に生じた事情にほかならず、相続開始の当時において、後にこのような経営状態の改善がもたらされることを期待することは全くできない状況にあったと認められるから、その相続開始当時において、道南開発に対する求償が可能であったと認める余地はない。
(三) 亡忠明の道南開発に対する本件土地売買代金債務及び貸付金債権について
(1) 抗弁2(三)(1)及び同2(三)(3)のうち都民信用組合及び日興信用金庫が発行した領収書に道南開発貸出金の保証債務返済分として受領の趣旨が記載されている事実並びに同2(四)(1)及び同2(四)(2)のうち亡忠明の道南開発に対する貸付金の残高が昭和六〇年一〇月三一日当時少なくとも四二〇万円存在した事実は、当事者間に争いがない。
(2) 被告は、道南開発から亡忠明への本件土地の譲渡について、昭和六〇年一〇月一九日現在における亡忠明の道南開発に対する貸付金残高五二五万九、〇〇〇円についての代物弁済であり、別紙二(貸付金明細)記載(二)(6)の貸付金二〇〇万円については、右代物弁済の際、その返済を求めない旨合意されたと主張する。これに対し、原告は、本件土地の譲渡について、これは坪単価約二万円の概算価額による亡忠明への売買であり、亡忠明の相続人と鈴木吉右衛門の相続人、川部福太郎及び漆原恒夫との間の話し合いにより最終的な代金額が確定してから、その代金が支払われたものであって、死亡当時亡忠明は道南開発に対し四二〇万円の債権を有していたと主張する。
よって、検討するに、昭和六〇年一〇月一九日現在における亡忠明の道南開発に対する貸付金残高が四二〇万円を超える五二五万九、〇〇〇円であったことを基礎づける確たる計算書類等の証拠はなく、別紙二(貸付金明細)記載(二)(6)の貸付金二〇〇万円について、亡忠明が代物弁済として本件土地を道南開発から取得した際に返済を求めない旨の合意が存していたことを示す証拠もない。かえって、右二〇〇万が亡忠明の道南開発に対する貸付金として処理されており、本件土地所有権を亡忠明へ移転する登記がなされた時期が右二〇〇万円の貸付よりも以前であること、当時は各役員らが清算のため新規に支払うべき負担金の具体的な金額について交渉中の時期であったことに鑑ると、亡忠明は右二〇〇万円を右負担金の算定の基礎に組入れる意思は有していたと推定できるのであって、右金員につき返済を求めない旨の合意が本件土地の取得時において成立していたと認めることはできない。そうすると、亡忠明は、その死亡当時道南開発に対し四二〇万円の貸付金債権を有していたと認めるべきである。
次に、本件土地所有権の移転については、前記のとおり、亡忠明が、道南開発の事業継続を断念して債権債務関係を整理することとし、会社の連帯保証人である役員らが新規の資金を負担して金融機関に対する債務を完済し、この新規の資金と従前の各役員の会社に対する貸付金の見返りとして会社所有地の分配を進め、各役員らが清算のため新規に支払うべき負担金の具体的な金額について交渉中に、その移転登記がなされているものであること、亡忠明が道南開発に対し昭和六〇年一一月二〇日に至るまで数次にわたって右交渉中の会社の運転資金を貸付けていることに加え、前掲甲第二号証の一、二、甲第一四号証、第三、第四、第九及び第一七号証、証人漆原恒夫の証言により真正に成立したと認める甲第三四号証の一、二、証人漆原恒夫の証言並びに弁論の全趣旨によって認められる次の事実、すなわち、「坪当たり二万円」という金額は、会社財産を役員に分配して整理するために昭和五九年二月当時において算出された暫定的な金額に過ぎず、到底時価を反映したものとはいえないこと、本件土地の所得権移転登記については、売買契約書等が作成されていないこと、漆原恒夫の述べる本件土地の価額は本件土地の登記名義が移転された当時においても概算のものに過ぎなかったこと並びに前記争いのない領収書の記載を総合すれば、本件土地の譲渡は、これをもって原告主張のような売買とみることはできないし、被告主張のように確定的な貸付残額の代物弁済であると認めることもできない。むしろ右証拠によれば、証人漆原恒夫の証言にあるとおり、右譲渡は、その後に確定すべき亡忠明の道南開発に対する貸付金と、その連帯保証人としての金融機関に対する返済金との合計金額として後に確定する分を担保する趣旨によるものであると認めるのが相当である。もっとも、亡忠明相続人らは、その連帯保証債務を履行すると同時に、本件土地所有権を確定的に自己に帰属させたこととなるから、本件土地の時価相当額はその支払った額から控除されるべきである。しかしながら、前記争いのない事実のとおり、本件土地は亡忠明の積極財産としてその時価相当額が組み入れられているので、相続税額の計算上実質的にその控除はなされているといえる。
三 税額の計算
以上の認定に基づいて亡忠明に係る原告の相続税にかかる課税価格を計算すると、別紙四(相続税額の計算表)中の「認定計算」欄記載のとおり二、九〇六万二、〇〇〇円(納付税額三九六万八、五〇〇円)となるから、本件更正の右金額を超える部分は違法である。
また、右の計算に基づいて原告が更に納付すべき税額は、別紙四(相続税額の計算表)中の「認定計算」欄記載のとおり七九万円(昭和五九年法律第五号による改正後の国税通則法一一八条三項により一万円未満の端数切捨て)となり、これに係る過少申告加算税は、同法六五条一項により右税額に一〇〇分の五を乗じて算出した三万九、五〇〇円(同法一一九条四項により一〇〇円未満の端数切捨て)となるから、本件賦課決定のうち右金額を超える部分は違法である。
よって、原告の請求は、被相続人根本忠明に係る原告の相続税につき、被告が昭和六三年七月二九日付でした更正(裁決によって一部取消された後のもの)のうち課税価格二、九〇六万二、〇〇〇円(納付税額三九六万八、五〇〇円)を超える部分及び被告が同日付でした過少申告加算税賦課決定(裁決によって一部取消された後のもの)のうち納付税額三万九、五〇〇円を超える部分の取消しを求める限度で理由があるから認容し、その余は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条、九二条本文を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 中込秀樹 裁判官 榮春彦 裁判官 長屋文裕)
別紙一(経過表)
<省略>
別紙二
貸付金明細
(一)(1) 昭和五六年七月二〇日 金一五〇万円
(2) 昭和五八年一二月二九日 金三〇〇万円
(3) 昭和五九年二月二三日 金七〇万円
(4) 昭和五九年三月一日 金八〇万円累計六〇〇万円
(二)(1) 昭和六〇年三月二六日 金一〇〇万円
(2) 昭和六〇年六月九日 金三〇万円
(3) 昭和六〇年七月七日 金三〇万円
(4) 昭和六〇年八月二六日 金三〇万円
(5) 昭和六〇年一〇月三一日 金三〇万円
(6) 昭和六〇年一一月二〇日 金二〇〇万円累計四二〇万円
別紙三(相続税の課税価格の計算表)
<省略>
<省略>
別紙四(相続税額の計算表)
<省略>
別紙五
物件目録
(一五) 同町字曽我七五六-一七
原野 三三〇平方メートル
(一六) 同町字曽我七五六-一八
原野 五二九平方メートル
決定
原告 根本嘉道
被告 荒川税務署長
右当事者間の頭書事件について、当裁判所が平成四年一二月二四日言渡した判決に明白な誤謬があったので、職権により次のとおり更正する。
主文
右判決の一三丁目表二行(理由二2(二)(2)一行目)中に「相続税上」とあるを「相続税法上」と、二六丁目裏四行(理由二2(三)(2)末行から七行目)中に「認められるのが相当」とあるを「認めるのが相当」と、二六丁目裏末行(項目)中に「五 税額の計算」とあるを「三 税額の計算」と更正する。
平成五年一月一八日
東京地方裁判所民事第三部
裁判長裁判官 中込秀樹
裁判官 榮春彦
裁判官 長屋文裕